店主より

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お引き立て誠にありがとうございます。憚りながら、京寿司の名舗いづう様の別家筆頭として、初代重吉がのれん分けの誉れを戴き、祇園石段下にて京寿司一式、季節を織り交ぜ製造販売いたしております。と、皆様の前で申し上げるまで百有余年もかかるわけです。ついこの間までは、粉わさびを水で練って握り寿司も致しておりましたし、二代目重吉は川魚料理屋も致しておりました(スッポンにかけては稀代の腕前、抜群のうまさでありました。)。
京寿司を看板にいきもどりつ、しかしながらいづ重の倉庫に残る創業時からの道具や器、のれん、帳面、ハッピやら身の回りの品々から読み取れる明治からこの方のお客様の京寿司へのあこがれ。そしてよしっ、いいものを作って応えてやろうという先達の意気込み。その辺りのことが味わえるようになって参りましたから、京寿司、京寿司と張り切りだすわけでございます。
京寿司の基礎を成すものは箱・巻・鯖。中でもいづ重の名代は鯖姿寿司でございます。京を都と定めて1200年このかた、都人は日本海の豊かな産物に執着して参りました。手前どもの先祖は南北朝の頃は琵琶湖の海運を業とする家で往時都と日本海をつなぐ物資運搬の縁が今にして日本海の鯖を寿司にして売らせるものかと思っております。湖国にあった頃の当家の船は今も店内の腰板として使用。うち数枚は、ある日源九郎半官義経公が奥州へ落ち延びられる折、当家が湖北へお供した際の家門の誉れの御船の残欠である…と父祖より聞かされた通りに信ずる処であります。室町もしばらくして応仁の乱も忘れた洛中洛外図に見る活気に満ちた世になりますと、京は盛んに中国(当時の明)から大盤(大皿、大鉢、俗にごちそう鉢と申します)を輸入致します。晴れの日の第一のごちそうを、この舶来の器にどかっと盛ってもてなすわけです。ごちそうというのは、あの垂涎の、あの胸高鳴る「寿司」としか考えられぬのであります。京寿司に他ならぬのでございます。(洛中洛外図に描かれる家々一軒一軒をのぞきましたが、寿司食うてる家がありません。寿司屋が休みだったのでしょうか。出前が遅れていたのでしょうか。後進の研究が待たれます。)
さてさて冗談はさておき京寿司の魅力をどう伝えるかを念頭に日々寿司を作りながらどこを引き出そうかと考えております。祇園石段下にて京名物の鯖姿寿司をはじめ京寿司を作らせて戴いておりますことのありがたさは日々身に余る光栄でございます。
是非とも京寿司ご用命賜りますようお願い申し上げます。
いづ重店主 敬白
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